透明性水彩絵の具で、
聖心(ハート・心臓)の聖像(イコン)を2点描きました。
ハートや花は、
私にとってのモード・モデルニテ(現代性)を表現しやすいため、
一生描くモチーフなのだろうな。モネの睡蓮のような。
特定の対象への、限定的で常道的な、脳の性質です。
クレジットカード払い・電子マネーより、
現金優先の画材屋さんなので、
(会員は2年間で500円の会費を払うと、
割引が大きく、割引券までもらえる、貧乏芸術家や美大生の味方の
良心的な画材店なのに)
消費税増税で、
なかなか用具が買えなくなり次が描けない。
みんな同じことを考えるのか、増税前にごっそり買い占めされていました。
ここの店は、中国・タイの芸術家もたくさん訪れて、
日本の画材を爆買いしていきます。
芸術への力の入れようでも、日本はすでに負けているかもしれませんね。
脱亜入欧(差別蔑視)主義の福沢諭吉は
「美は国力なり」と言ったそうですが、
税金搾り取りすぎて、蓄積したものを出さないため、
日本は疲弊しすぎて、余力がなくなりましたね。
他のアジアの国に、文化資本でもすでに抜かれているのだろうな。
大きなオークションは、すでに上海に移っている。
念のため再度書きますが、
これは透明性の水彩絵の具で描きました。
しかし、私が描くと調子がなんでも同じ。
やや価格の安い、不透明性絵の具の方が、
私のパーソナリティに合っているかもしれません。
マドンナは、何を歌い演じても、マドンナであるように。
表現の主義が変わるなんて、私が私でなくなることと同じこと。
今のパーソナリティでなければ、そもそもテーマに
聖像(イコン)など選びません。
宇宙と通じて逸脱した脳である私にとって、
祈り、集合的無意識のイメージをひき下すことが、
芸術を通じての私の役割なのです。
以前は司馬遼太郎の『神々の乱心』を読んで
宗教についてよく勉強したから、
次は大江健三郎の『燃え上がる緑の木』を読んで
インスピレーションを得て、
私は芸術を司る、シャーマンになりたいのです。
子どもの頃は案外恵まれた階層で育っていたため、
今でも田舎に帰れば、会社経営者・医者などと同窓会で会うのですが、
そのような金が有り余っている人たちも
芸を披露すると感動してくれて、
仲良くしてくれるため、私の周りには、
けっこう品のよい人が集まります。
芸術には、心を思いのままに操る力があるのかもしれませんね。
裕福な家庭に生まれても、どん底の貧乏を体験しながら、
正統な音楽教育を受けた、淡谷のり子大先生の歌声は
心に染み入る。